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寺辻子(てらずし)にチェックインして50ビワコゲット! 浜通りの街灯が目印です。 QRコードは琵琶湖汽船/今津港に設置しています。 11月末まで、浜ルートスタンプラリーのラリーポイントになっています。 ▼最新情報はインスタからご確認ください https://www.instagram.com/biwako__takashima/ 間口が小さく、奥行きが長い短冊型の町割りで、数軒ごとにと十字に交差しており、裏町や浜辺へ下りるための・を、辻子(ズシ)と呼んでいます。 地蔵辻子、寺辻子、宮辻子の、三つの看板は、高島市今津地域住民自治協議会の、歴史文化部会が、通りのネーミング事業として議論を重ね、役員会の承認を得て、令和6年3月に設置したものです。看板のイラストは滋賀県立高島高等学校の美術部に考案していただいたものです。 寺辻子とは、お寺の前から浜に続く路地・小路のことを指します。 ここでいう寺とは、泉慶寺(センキョウジ)のことで、浄土真宗・本願寺派、寺院創設文明5年(1473年)と伝わっています。 この寺には、が北陸巡礼布教の途中、今津で賊に襲われた時、その賊の娘「お初」が蓮如の身代わりとなって果て、「南無阿弥陀仏」の六文字を刻ませ、その菩提を弔わせたという伝承のあるが残っています。 また、本土空襲が激しくなった昭和19年(1944年)、集団疎開で大阪の堀川小学校から524名が、今津へ疎開してきました。この寺が寮本部となり47名の女子6年生が寮生活を送っていました。この寺には、平成15年4月11日に建立された、集団学童疎開の碑が建立されています。当時教師であった八木伊平先生が、生徒たちの手記、寮母さんの日記、自分の綴りなどで「よろこびのいずみ(泉慶寺から名付けられる)」として出版し、その記念に60年ぶりに生徒たちとこの寺を訪れ、この碑を残しました。 ほかにも、今津町保坂に立つ文化財に指定されている道標と全く同じものが、この泉慶寺の敷石として使われています。スペアとして作られ、今津港まで二基運ばれ、今津港から一基のみ運ばれたものか、はたまた、建立された後、数回にわたり大火に遭い、何れかの再建の時にその道標が使われたのではないかといわれています。
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